恍惚の人 / 有吉 佐和子
2009年 06月 01日
文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果して幸福か?日本の老人福祉政策はこれでよいのか?―老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない“老い”の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。
上野千鶴子さんの『文学を社会学する』で考察に取り上げられていて、
(とはいえ、読んだのは大学時代…)
いつか読みたい読みたいと思っていた本です。
…なんか……今、ちょうど実家の祖父が軽い認知症なので、
本当にいろいろと思うことがありました。
認知症の茂造おじいちゃんは、戦前どころか明治のお生まれ。
主人公の昭子夫婦も戦地に赴き、戦後は高度経済成長を支えた2人です。
当時にしては珍しいのは、昭子さんが弁護士事務所で働く女性だということです。
でもそれ故、茂造からは「職業婦人」「働いてると料理がまずい」などと
バカにされ、優しいお姑さんのフォローにも関わらず、嫁いびりをされていたのです。
銀行に勤め、家事もせず、趣味も持たず、病院嫌いでいつも愚痴ばかり。
そんな茂造を日陰で支えたお姑さんが、ある日、パッタリと心臓病で逝ってしまう。
その日を境に、茂造が子どものような振る舞いを見せるのです。
例えば、食べても食べても「昭子さん、お腹が空きましたよぉ」とせがむ。
息子の顔は忘れても、自分の世話をしてくれる昭子だけ顔を覚えていて、泣いて探す。
夜、昭子の布団まで泣きながらやってきて、覆いかぶさる。
これが赤ちゃんだったらかわいいんでしょうけど…
老人だから正直ちっとも愛情なんて覚えないんだろうな、と思います。
ほんとに、年を取ると硬いものが食べられなくなったり、
おむつが必要になったり、知能が低くなったり、子ども返りするって皮肉ですよね。
茂造さんも、うちのおじいちゃんも「恍惚の人」で、
時折本当に生まれたときのような無邪気な表情をするのです。
まるで、輪廻のサイクルをくるーっと回りかけてるかのような。
年を取ること、誰かに年を取られること…どちらもシビアで目をそらしたくなる現実。
リアルすぎて、ほんとになんて言ったらいいのか分からなくなります。
正直なところ、自分の排泄物の処理が自分でできなくなったら、生きていたくないな。
少なくとも、あくまでも、私はですが。
でね、おもしろかったのが、時代柄
「舅が冷凍食品を気持ち悪がって食べない」
「就職した企業では、共働きが禁止されていた」 (えー!)
「介護はやっぱりお嫁さんがしっかりするしかないんです」(市職員の言葉)
とか、時代錯誤、でも当時の価値観では当たり前だったのでしょうけれど、
ちょうど30年前くらいの社会の様子がわかっておもしろかったです。
それでも、介護を取り巻く環境はあまり変わっていなくて、ズウーンとなります。
(ITとか他の産業はめまぐるしく変化してるのにねぇ。
老人の国会議員が集まって、老人票を集めてるのにコレだもんねぇ)
いろいろと良くならないものだろうか。